私の3.11
13年前の発災当時、私はまだ劇団四季のスタッフをしていて、東京でとある大型ミュージカルの本番付きで巨大な舞台機構を操作していました。
本番中の最も盛り上がるシーンで震度5強の揺れに襲われ、上演は危険と判断し、即座に中止に。その日はお客様が帰宅難民となり客席で宿泊せざるを得なくなり、我々も当然劇場から帰れませんでした。
被災地の悲惨な光景をテレビで見ながら祈りつつ、翌日は原子力発電所の建屋が爆発する衝撃的な映像を見ながらも、壊れた舞台装置をひたすら修理していました。
そして当時の代表・浅利慶太氏が、「明日から公演を再開する!」と決断し、驚きつつも何とか再開できるレベルまで補修し、実際に日曜には再開しました。チケットはほぼ完売でしたが、当然いらっしゃったお客様はごく少数でした。(震災が理由でお越しになれなかったお客様には払戻しをしていたはずです。)それでも、何とか無事に公演を行い、惜しみなく拍手をいただいたことを覚えています。
劇場の立地が計画停電の対象区域外だったこともあり、そのまま休むことなくロングランを続けることになりました。しかし、計画停電等の影響で電車がろくに動いていない路線も多く、劇場関係者の多くが数週間自宅に帰れず、劇場に泊まり込んでおり、私もその一人でした。
正直なところ、被災地で連日死者・行方不明者数が急増し、原子力発電所が次々と爆発する中、自分たちがハッピーミュージカルを毎日上演することに違和感が無かったと言えば嘘になります。しかし、今になって思えば、あの日々に観劇に来てくださったお客様にとっては、希望であったことと信じています。逆境の中でも、自分たちにできることは何があっても続けるという精神。まさにShow must go onを実感する日々でした。
そして、あの時の精神があったからこそ、劇団はコロナ禍も乗り越えることができたのでしょう。
今の私は全く別の業界で仕事をしていますが、劇団時代に培われた精神は日々大切にしていきたいものです。
特定行政書士 寺島朋弥
2024年3月11日
■コメント
コメントはありません
※申し訳ございません、現在コメントフォームは閉鎖しております。